本日は、洛北高校の説明会に参加してきた。

京都出身のある一定の年齢層以上の方は、葵小学校→下鴨中学→洛北高校→京都大学という図式をお持ちのことと思う。

残念ながら、その図式は成り立たなくなって久しい。

ただ、10年前に中高一貫コースを設立してみれば、初年度から10倍を超える人気で、今や全国屈指の難易度を誇るコースとなっている。

かって伝統校であったという潜在能力の高さを見せつけられた瞬間であった。「洛北」という名前がなければ、ここまでは行かなかったと思う。

そして、今回の入試制度の改変である。自信満々で上位層が来るとの読みで、当然のごとく普通科は、従来の粁牋幣紊箸いα枋蠅如▲リキュラムを組んでいたそうだ。

「どういう層が中心になるか分らない」と教科書を砧燹↓粁爐匹舛蕕帽腓錣擦襪戮か悩んでいたという公立が多い中、さすがというべきか、伝統校の強みを感じた瞬間であった。

本日、塾人のどなたかが質問されていたが、御三家が校長を前面に押し出し、学校の方針を熱く語るという説明会に対し、言われてみれば、ここは校長先生の顔を存じ上げない。というか、「洛北」自体が前面である。

14 洛北 (1)

こういうところも伝統校らしいというか、京都らしいというか、良い意味で、ガツガツしてなくて、これはこれで上品なのかなとも思った次第。(嫌みではなく本当に)

また、説明されるスライドの内容も、そこに盛り込まれた教育理念も非常に高尚で、ある特定のファン層にはたまらないなと感じさせるものであった。

ただ、私としては2つほど、心にひっかかるものがあった。

1つは、これは洛北に限らず難関公立にあてはまるのだが、やたらと「クラブ加入率」を口にする点である。

幽霊部員もいるだろうし、加入率が高いからなんだ?という感じである。ややもすれば、「部活動にも入らず勉強ばかりしている生徒なんか駄目だ」と言っているように聞こえる。

そりゃ「甲子園にも出て、そして京大にも合格する」ような生徒は、素晴らしいが、そんな生徒像をモデルにされたら、ついて行くのに必死な生徒にはたまらない。この高い加入率を維持せんがために、生徒に無言の圧力が・・・などと勘ぐってしまうのでる。そもそも、率なんて「結果」にすぎない代物だし、部活動はあくまで放課後活動にすぎない。それをわざわざ繰り返し数値を言うから「ノルマでも課してるんかいな」とまで思ってしまったのだ。

2つめは、「優秀な生徒を集めている割には進路実績が今ひとつですね」という塾側の嫌みな質問に対する解答が、みな判で押したように、「生徒の希望を優先してます。受かるところを受けさせてません。(京大を阪大に、阪大を神大に変更してくれれば、合格者倍増しまっせ!でも、そんなこと教育者としてしないもん!)」なのだ。

耳障りの良い言葉にだまされていると感じるのは私だけであろうか。

むろん、私自身も生徒には挑戦させてきたし、成功しても失敗してもそこから何かを学び取って欲しいと願っている。その思いは同じだと思う。

しかし、実績が今ひとつの理由を、「希望を優先してますから」はない。なぜなら、浪人生がいるからである。2年目以降の実績に、浪人生が加算されれば、塾人が思い描いたイメージ通りの数値になるはずである。1年目に希望が叶わなかった生徒が浪人しても希望が叶わないのならば、その希望は無茶だったということである。

部活動も好きなだけやらせて、子供に背伸びさせるだけさせ続けて、最後の最後で進路指導を放棄しているとするならば、それは問題だと思うのだ。

問題点は多々あろうとも、「入学者の割には・・・」という声が出ること自体を、謙虚に受けとめてほしい。「生徒が自由に受けているから 」だけがその要因ではないはずである。

難関公立の説明会で「クラブ加入率」と「行きたいところを受けさせている」という2つの言葉を聞かされる機会が多くなっていることに加え、現実に難関校で苦しんでいる生徒の声と合わせると、理想を追うあまりに、生徒に無理や無茶をさせているが、中には軽々と両立してしまうものもいるものだから、それに気づかず「ほら、両立できてるやん」となってしまっている構図が一瞬透けて見えたので、思わず語ってしまった次第。

透けて見えた構図が幻覚であれば良いのだが。。。