本日は、嵯峨野高校の塾対象説明会に参加してきた。
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もうずいぶん以前から参加させていただいているが、来る度いつも掃除が行き届いていることに驚かされる。
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校舎もそんなに新しいわけではない。中も所々暗いところがあって、決して光が満ちあふれるおしゃれな空間というわけでもない。

ややもすれば、古い=きたないという印象を持ってもおかしくないのだが、整然と整理された机、階段や廊下に、ちりやほこりが全く落ちていないという状況が、「きれいな学校」という印象を抱かせるのである。

また、初めて授業見学をさせていただいた時にも驚いたのだが、寝ている生徒が皆無なのだ。それどころか、皆黒板や先生を見つめ、ペンを走らせている。そして、廊下を渡る塾人たちの方に目をやるものも皆無なのである。

こすもす科限定で見学させられたのではない。当時は、まだ砧犒蓮↓粁犒蓮△海垢發慌覆帆干愬にあったのだが、全て見たが、正直、どのクラスがどの類系なのか分らないくらい、生徒の授業態度に差がなかった事に大変驚いたのを覚えている。

ひどい学校だと、半数がこちらに目をやり、指さす者がいて、その騒ぎの中ですら目覚めることなく、腕を枕に眠り続ける者がいたりする。生徒に言わせれば、そもそも教室に生徒全員がそろっていないことも多々あるとのこと。

「日本のお母さんは、昔みんな美人だった。日本のお父さんは、昔みんな悪だった。」とはどなたがおっしゃった言葉かは覚えていないが、言い得て妙だと思う。ドラマでも「お父さんも昔は、悪でなあ。しょっちゅう授業を抜け出したりしたもんだ」と語り、子供が目をきらきらさせながら、「へー、お父さんも、そうだったんだー」などというシーンは確かによくある。

「怠惰であること」がかっこいい、「まじめであること」はかっこ悪いという風潮が、なぜか日本には根付いている。

ところが、本日の説明会中に流されたビデオの中で、卒業生がほこらしげに「嵯峨野の子は、皆根が真面目」と言うのである。そして、「学校の先生を敬愛している」とも。

公立中学で、このような発言をすれば「村八分」にされそうな、こういう台詞がさらっと出てくるところが、嵯峨野が嵯峨野たるゆえんであろう。

締めくくりの言葉が、「めっちゃきつい3年間やったけど、めっちゃ楽しかったし、嵯峨野に来て本当に良かった」である。

多くの現場の先生方は、子供達からこの台詞を聞きたくて教育業界にいるのだと思っている。

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私が好んで使うフレーズに「古き良き公立高校」というのがある。京都ではなく兵庫出身の私が使うそのフレーズに込められたニュアンスがきちんと伝わっているかどうかは自信がないが、行き届いた掃除、授業風景、この2つが私に「古き良き公立高校」と感じさせるのであろう。ここにピッタリと当てはまる言葉だと思っている。(あと、同じ府立の桃山高校にも同じ印象を持っている。)

本日、改めてその思いを強くした次第。残念ながら、今春進学した当塾の生徒達を一人も発見できなかったのだが、授業に集中しているのを邪魔することもなかろうと、嵯峨野を後にした。

追伸
食堂で頂いたカツカレー。昔懐かしい味がしてとても美味しかった。前の席に座られていた初対面の若い塾長先生と少しお話しさせて頂いたが、なんと以前の私のブログを読んで下さっている方だった。名刺交換の際、塾名は変わっていたが珍しい名字だからだろうか、名前で気づかれた様子だった。

ブログを再開したことをお伝えしたので、早速読んで頂いているだろうか。「どんな方が書かれてるか、ずっと気になっていた」とおっしゃられていた。

その書き手との偶然の遭遇にどんな印象を持たれたかは、勇気がなくて聞けなかったが、好き放題書けて言いっ放しに終わるブログでの人物像はごまかせても、人物そのものはごまかしが効かないという事を再認識した次第。

昨年立ち上がった中高進学研究会という会がある。今回の嵯峨野の説明会も中高進学研究会の企画である。

その代表である西川先生は、今や時の人であるが、「かっての私の上司で、私に塾人としての基本を叩きこんでくれた人なんだよ。ブログにもコメントくれてるよ」と、まるでマー君とチームメイトだったんだよと自慢するかのごとく、若手スタッフに話したところ、「え?先生とあんまり歳変わらないんじゃ・・・・」と返されてしまった。

私が老けたのか、西川先生が若返ったのか、その論争は置いておいて、とりあえず、私も若手というカテゴリーにはもうとっくの昔にいなく、そういう層として見られているということを本気で自覚しないといけないということだろうと思う。

嵯峨野に感心しているばかりでなく、自身のステージをあげるべく、頑張っていこう。とりあえず、せっかく再開したのだから、ブログの更新頻度をもっとあげよう。