本日は、中3生は五木模試。終了はお昼を過ぎる上、食事もしてくるだろうから、子供達が塾にやって来るのは13時を確実に回る。

なので、出勤は昼過ぎで良かったのだが、「中3のために日曜日はフルタイムで開けることになる。つまり、これから日曜日は開いてるんだから、勉強したい者は使え。」と他学年にも言っているので、もしかしたら来るかもという思いと、9日の個別相談会のための準備があれこれとあったので、午前10時前には出勤した。

予想通りというか、中3以外は誰も来なかった。そのこと自体は別に良い。ただ、午後7時前にかかってきた1本の電話が、こちらでの私の生徒への信頼が、あまりに過剰すぎたことを私に気づかせることとなった。

と大げさに書いたが、起こったこと自体は、「そろそろ家に帰って来るように言ってもらえませんか?」という母親からの電話によって、「塾に行く」と嘘をついて遊んでいたことがバレるという、よくある話が起こっただけである。

ただ、受験学年というわけでもなくテスト前でもないし、そもそも授業というわけでもない。昼に遊ぶことを咎められることもないはずだから、もしかしたら夜遅くまで遊ぶ口実のため塾を使ったのではとの考えが頭をよぎる。

「探しに行こうか」、「他の生徒宅に電話してみようか」、「ツイッターでつぶやいたら、情報入るかも」など考えていたが、その後、すぐに帰宅しましたとの連絡があり、ほっとした。

本来、日曜日で、もともと自習に来る必要がない子が、なぜそんな嘘を?と思いもしたが、お母様とお子様の最近の様子など、じっくりと話をさせて頂くことが出来たのは幸いであった。

明日、自習に顔を出すとのことなので、「塾をダシにすることは、勉強していると思っているお母様に対する最大の裏切り」とだけは伝えたいと思う。

先ほど、「よくある話」と書いたが、実際はよくあっては駄目な話で、もしこれが仮に授業であれば、私は大問題として扱う。退塾ものの問題だとさえ思っている。塾が終わって、まっすぐに家に帰宅しないのも同罪である。塾で頑張っていると思っているお母様を裏切る行為だと、なぜ気づかないのか。

塾だって被害者である。毎日遅くまで残っているのに成績上がらないなどと思われたら、こっちの教務力に傷が付く。また、これだけ勉強しても成績が上がらないのだから、勉強に向いていないと保護者が判断してしまう恐れもある。そうなれば、その子は期待されることもなくなってしまう。こういった行為は、保護者と塾、両方を裏切っている行為で、皆を不幸にしているばかりでなく、最終的には自身をも不幸にしてしまうのである。

だからこそ、それを防ぐために「欠席連絡」があったり、メール配信を用意しているわけだが、むろん十分ではない。結局、子供達の「善」の部分に依存せざるを得ない。

以前は、日々の出欠、遅刻などの記録も送付していたこともある。これにより、部活を理由に遅刻が多かった生徒が、実は原因は部活ではなかったということが発覚し、その後は遅刻がなくなるなど、ある一定の効果があった。ただ、これも抑止力にはなるが、抜け道はいくらでもある。

私が塾長になった最初の数年間は、常にこういう初歩的な対策をしなければならず、子供達は様々な事件を起こしてくれた。

今でも記憶に残っているのが、ある先生の授業が、いつもと違ってあまりに静かなので、不審に思いのぞいてみると、男子が数名が座っているのみで、女子はゼロ。

「何事か?」と問いただすと、「知らない」と言い張っていた男子が、ついに「みんな祇園祭に行った・・・」と口を割る。

怒り狂った私は、「全員、もう二度と来なくていい!勝手にしろ!」と暴れまくった。(今思えば、来ている生徒に罪はないんだけどね・・・でも、口裏を合わせていたというのが許せなかった)

あまりの怒りぶりが祇園を楽しんでいた生徒に伝わったらしく、四条からすぐに生徒全員がすっ飛んできて、職員室にずらっと並び謝罪をした。

その頃には、怒りはとうになくなっており、むしろ、楽しい祭りの途中を抜け出してきて、緊張した顔で神妙に謝罪したことに感心すると同時に、少し同情もしていた。

もしかしたら、私が怒っていたのは、生徒に対してというよりも、その状況下で何のリアクションもとらず、へらへらと授業をすすめようとしていた講師に対しての怒りの方が強かったのかもしれない。(その教員はその年度が終わると同時に解雇となった)

その子達を、私が吐き捨てた言葉通り、退塾させるつもりなんて毛頭もなかったが、その言葉に驚き、急ぎ全員が戻っての謝罪という行動は、実は私にとっても予想外であった。

ここで嬉しそうに笑ってしまっては威厳が損なわれるだけなので、無理して苦虫をかみつぶした顔をしたまま、その見事なまでの謝罪っぷりの発案者を聞くと、当時、そのクラスのリーダー格だった女の子の発案とのことで、まだ遊びたくて渋る連中を説得し、「謝るなら明日ではなく早いほうがいい。全員でなければ意味がない」と、全員を集めて戻ってきたという。

このリーダーの統率力と決断力、そして誠実さに感心し、演技を続けることが出来ず、ついに笑顔満開となってしまったが、「怒ってないやん・・・帰ってきて損をした」と思わず言ったものには、本気で切れた。いつの時代にも、空気を読めず要らぬひと言を発するものがいるものだ。

さて、今回の件に関して、私自身は、昔のように激高していない。ただ、生徒をあまりに信頼しすぎていたと自身を反省するのみである。

そして、生徒をやみくもに信頼するという「性善説」は、一見素晴らしいように思えるが、その実、そう思い込むことで自身が「ラク」をしているのではと、ふと思い至った。

とどのつまりは、そこである。やはり、「らく」をすることは「悪しき」ことである。大いに反省しないと。