15 成章 (3)
さて、8月25日、京都成章高校の説明会。毎年、吉竹校長先生の独演会を拝聴するためだけに参加している。

その年の自校の入試結果の分析と今後の戦略が、いつも明快で分りやすく、我々塾人にとっても大変参考になるのは勿論だが、その戦略がつねに、「生徒、教員全員が幸せになるにはどうすればいいか」という視座から産み出されたものであり、そういった経緯を聞くことができるのが最大の魅力なのである。(そのあたりのお話は以前のブログにも書いているので、参考にしてください)

通信制課程の設置しかり、メディカルスポーツコース、京大コースなど、全て同じ発想からの産物である。だから、新設コースにありがちな「迷走」などというものは一切感じない。

かっての「エテルナ」のように効果なしと判断すればスパっと廃止できる。人の上に立てる人間というのは、まさに吉竹先生のような人物を言うのだと素直に思うことが出来る。

塾対象の説明会で拍手が起こることは、京都ではあまりないのだが、京都成章だけは毎回毎回盛大な拍手につつまれて終わる。魅了されているのは私だけでなく、海千山千の塾人たちも皆同じ思いらしい。

なお、魅了されているのは、おっさんばかりではない。生徒さんも魅了されている。

私の塾に京都成章を熱望している生徒がいるのだが、学校説明会で吉竹校長先生のお話を聞いたことが、そのきっかけとなったそうで、さらに言えば、その事が当塾に入塾するきっかけにもなったという。

京都成章の事を色々と調べているうちに私のブログにたどり着き、当塾を知って頂いたとのこと。不思議な縁を感じる。

というのも、私の卒塾生には、何年にもわたり数多くの成章生がいる。どの生徒も優秀な生徒ばかりだと自負しているし、自信をもって推薦できる生徒ばかりであった。

成章の人気講師であるY先生をして「こいつのためなら、何でもしてやる。本気でそう思える生徒に出会った」と言わしめた伝説の生徒Y君も、実は私の教え子である。

もちろん、京都成章だけを生徒達に推薦しまくっているわけではない。私自身は、色々な学校の説明会に行って、数値だけでは分らないその学校の「匂い」を嗅ぐことで自身の感覚を修正し、古い知識のみで進路指導を行う生徒にとっての「老害」にだけはならぬようにと心がけている。

だから、平等に色んな学校の話をしているのだが、成章に向いていると自信をもって薦めることができるなと思った生徒が自然と京都成章を志望校に選んでいるという感覚なのだ。

現在、京都成章を熱望している生徒さんも、これまでの生徒さんと全く同じ「匂い」がする生徒さんで、京都成章以外に行くところないでしょ、と私が感じるアレを持っている。きっと満足して卒業してくれるだろうなと感じている。

まあ、まだ試験に合格してもいない段階から、あれこれ語っても仕方がない。進路に関する責任も負っているが、その前に学力向上に関して負っている責任の方が重い。御託を並べる前に、目の前の生徒の成績を上げなければ。

さて、前の塾にいた頃に、京都成章について書いたブログがある。当時はPCからの閲覧者がほとんどだったので、「拍手機能」(残念ながら携帯版にはない)で拍手をしてくれる方が多かったのだが、その当時最大拍手数を頂戴したブログである。

前の勤務塾時代に書いたブログなので、リンクによる掲載は出来ない。そこでコピーという形で、そのまま以下に紹介させていただこうと思う。これまでの文と合わせればかなりの長文になるが、お許し頂くと共に、最後までお読み頂ければ幸いである。


(ここから再掲です)

さて、本日は京都成章の説明会。この学校を語る際、必ず出てくるのが、『勉強ばかり』『青春はない』『しんどい』という言葉であるが、不思議と当塾から進学した生徒からは、そんな言葉を聞かない。

『学校おもんない・・・』『あんな学校、行くんじゃなかった・・・』と言われることが一番辛い私にとって、このことは非常に大きい。

個人的には、成章とセットでよく出てくる言葉は、実は内部からではなく、外部のアンチから発信されているものではないかと疑っている。言うまでもないが、アンチというのは、実は本当は自分の願望の裏返しであり、気にかけているから、心の奥底では好きだからアンチになる。

例えば、当塾の生徒でも、中学のクラスメイトの話とかで、『あいつ昨日10時間勉強したらしいで』とかの話が出ると、『えー、ガリ勉やん』だの『キモー』だの『そんな勉強して楽しい?』だの『絶対彼女おらんし。あっはっはっ』と異常なくらいの嫌悪感を示す場面に出くわすことがある。

でも、金メダルの北島は、誰も敵わないほどの水泳界のガリ勉だし、甲子園だの国立競技場だの花園ラグビー場だの目指す連中だって、そこらのガリ勉が裸足で逃げ出すほど日々精進している。

そんな連中には、心からエールを送り、感動している連中が、勉強の『ガリ勉』には冷ややかな態度を見せるのが不思議で仕方がない。

ただ、本当に気にしていないのであれば、あそこまで必死になって「きもー」とか言わないはずだし、本音では、本当は頑張れるのならば、皆頑張りたいのではないか。

しかし、それが出来ない、でも、子供心にそんな自分は認めたくない。では、どうするか。全力で否定するしかないというわけだ。
 

『あそこには青春なんてないしな。だから実績良くて当たり前やん。』とニヒルに言い、さも自分は貴重な青春時代を過ごせたというふりさえすれば、「頑張れなかった」という単純な事実をごまかし隠し通せる。海で彼女と過ごした何となく楽しそうな写真の1枚でも見せておけば、溜飲は下がるのだろう。

確かに、成章に『青春がない』ということも『しんどい』という噂も、全くのデマではないにせよ、少なくとも私が思う青春というのは、『朝寝坊して2時間目から学校に行き、授業は上の空で、友人とバイトと恋の話で盛り上がり、夕方にはバイトがあるからと授業を抜け出し、バイトに精を出し、そのバイト代で夜な夜なカラオケだのボーリングに明け暮れ、深夜に帰宅し、翌日また寝過ごすといった日々』ではない。

もちろん、自分自身の責任おいて自由に生きる権限は誰にでもある。それでも、子供たちには頑張って欲しいと望んでいる。

確かに、楽しいことは山ほどあるかもしれないが、若いうちにたくさん苦労も知って欲しいのである。それが『勉強』だけとは言わないが、塾という立場から与えられるものは、『勉学の苦労』という1点だけなのである。

(以下略)