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土曜、日曜は、9月3日から実施される西ノ京中のテスト対策のため、朝9時から開室している。

上の写真は、その西ノ京中4人組。他中学がいないことを良いことに、広々と席を使っている。いや、実は中3も来ているのだが、奧の部屋に追いやられているのだ。

驚くのは、他の学年の開いていると悟る嗅覚である。昨日は土曜日なので、中3の常連さん含め6名が現れたのは当然どころか少ないくらいで、模試の結果に反省した中2のTさんが来て、数学のプリント(塾の宿題だが)をやっていたくらいが誉めるべき点といったところ。

だが、日曜日の今日に、Uさん、S君などの中3生が何の躊躇も見せず顔を出しているのは嗅覚が凄いとしか言いようがない。2人とも遠方の生徒である。また、昨日のTさんとは別の中2Tさんも、数学を解きに来た。もう日曜日の常連さんと言っても良い。

さて、話を西ノ京テスト対策に戻そう。当塾の西ノ京中の在籍者は、全員が同じ中2生である。

少数派であるがゆえの団結心というか、「明日は9時に集合な」と互いに言い合ったり、誰かが帰ろうとすると、「なんで、もう帰るねん」と引き留めたり、そんなやり取りをする場面がよく見られる仲良し男女4人組である。

逆に、少数派ゆえの弱点というか、大家族の中で育った子と一人っ子として育った子の違いのような、自ら奪い来なければ食べ物がなくなってしまう、目立たなければ親の愛情を一心に受けることは出来ない、という環境の中で育った子に備わっている「競争心」「負けず嫌い」、さらに言えば「野心」というものが少し足りないと感じるとは、前回書いたとおり。

ただ、このメンバーの中からこの夏より、1名を上位のクラスに上げた。勉強の質が少し変わってきたと感じさせるものがあったからだし、私の申し出に対し「はい」と2つ返事だったので、本人もその気だったのだろう。

もう少し人数が増えてくれれば面白い集団になると思うのだが、当塾からはややエリア外ということと、そもそも、その地域に対する当塾の信頼度がその周辺の塾に比べて弱いのか、この子ら以外の学年に在籍者はいない。

まあ、今目の前にいるこの4人の結果を出せるかどうかで、今後の在籍者数は決まってくるのだろう。塾とはそういうものだ。

ただ、今回のテストには、それなりの手応えを感じている。教科によっては夏休み中かけてテスト対策をしていた事になっているからだ。

例えば、数学は、夏期講習として「文章題特訓」を行っているが、これはまるまる今回の西ノ京中のテスト範囲となっていた。

そこで、昨年までの教材を用いず、定期テストの過去問を題材としたテキストを新たに編集した。入試問題に反応する生徒は、当塾の中2には残念ながらごく一部しかいないが、「定期テスト過去問」と聞くと「解けないとやばいやん」という反応を示す生徒だけは何とか揃えることは出来ている。

生徒のその性質というかそれを利用させてもらっているというわけである。

さて、話は変わるが、開いていることを知ったものの、先輩との先約がありキャンセル出来ないため、勉強道具を朝、塾に置きに来て先輩との用事が終われば、その足で戻り勉強を開始するという作戦を立てた中3生がいる。

英語の問題集を3冊終わらせた生徒さんで、この夏英語大嫌いから、英語大好きに変わってしまい、今では暇があれば英語をやっている。

逆に、数学の問題集は難しいところばかり残ってしまって、いちいち詰まるために進まなくなってしまい、イライラしてしまう状況となってしまった。ここからは助け船が必要なのである。

理数系の講師に生徒を塾に呼ぶことを好む者が多いのは、こういった科目特性が大きい。社会のことを聞かれたり、英語の単語を聞かれたりすると「そんなの自分で調べろや!」と声を荒げてしまう私だが、数学や理科の質問には応えざるを得ない。

いや、むしろ、数学など答えが合ってても、変な解き方で偶然合っているだけだったり、ものすごく遠回りしていたりする場合もあるので、机間巡視によるマメなチェックや日々のノート点検など、講師自らが確認することを怠るととんでもない勘違いをさせたまま放置してしまうことがよくあるので、自然とそういう術が身についてしまう。

以前はテスト対策も、完全に理数的な視座でもって、全科目とも授業形式で行っていた。毎回時間割を組み、講師を配置するという形式のテスト対策である。

しかし、こちらの塾に来てからは、生徒数が少ないということもあって、「自立型」という形式でのテスト対策が中心となった。「生徒の質」にかなり救われているという部分もあるが、生徒にとっては、この形式の方が有効だとも感じている。

塾によっては、テスト対策ゼロという塾もある。だが、うちの現状ではそれは許されない。もっともっと強い塾にならなければ無理だ。

それに、日曜日にニーズがある以上、工夫してでも開いているならば使おうとする生徒がいる以上、やはり開けてやりたく思う。

頼られると、必要以上に期待に応えてしまおうという昔からの性格である。「早死にする昭和の古いサラリーマン」との診断を下されてしまった事があるが、自分でもそう思っている。

でも、今の若者が支持するようなおしゃれでかっこいい生き方は不可能だ。どうしても、こっちを選んでしまう。これが私の価値観である。

もちろん、「真似しろ」なんて言わない。それが証拠に全日曜日とも「私」が開けている。

スタッフには、日々の授業で、一期一会の精神で臨んでくれればそれで十分だし、実際に今回他教科の質問は驚くほど少ない(質問は数学と理科ばかり・・・時々社会。いずれも私の科目である(泣))ので、日々の授業できちんと指導が成立している証であり、むしろ感謝している。

昨日も「私が出ましょうか」と申し出てくれたスタッフがいて、それを私が断ったのだが、人は「借り」を感じすぎると、それが重荷になり、やがては、その罪悪感を薄めるために、「借り」を借りとは思えなくするために自分で理由をこしらえて(社長なんだから当然じゃん、とか)、精神面の調整行うという記事を偶然今日目にした。

人に借りを感じさせるのは、実はとても罪なことで、その「借り」の意識を軽減させるため、時にはワガママになって接した方が、却って人間関係は上手くいくのだそうだ。

昨日のK先生の申し出に、「もしかしたら」と感じるものがあったので、「そんな必要はない」とこの場で明言しておく。

ただし、生徒には感じて欲しい。もちろん、「俺(先生)頑張ってるから、あんた(生徒)も頑張れ」式のものではなく、自分たちの仲間(生徒)が受験に向けて立ち向かおう、頑張ろうとしていて、その者達が上手に塾を利用しているし、塾もそれに応えることが出来るという事実を、だ。

さて、今日は最終的に何人の生徒が顔を出してくれるだろうか。