先月、関西私塾の会 元会長の猪飼先生がご逝去されました。
心よりご冥福をお祈りいたします。

初めて猪飼先生にお会いしたのは、私が塾長になった初年度の年、まだギリギリ20代だった頃でした。

保護者に「不慣れな塾長」と思われるのが嫌で、全ての学校の説明会に積極的に顔を出し、入試の知識を身につけようとしていた塾長1年目。

塾長の知り合いなどほとんどいませんでしたが、何度も説明会に出向けば顔も覚えていただき、興味を持っていただけたのか、私塾の会の会員の方に「うちの忘年会においで」と誘われ、その席でお会いしたのが、当時の会長の猪飼先生でした。

私塾の会に入会後、毎回の定例会に出席するも、末席にポツンと座りなかなか発言しようとしない私をみかねて、「これからは、ワシらがきばってもしょうがないんや。あんたらや。あんたらの時代や。あんたら、若いもんが頑張っていかなあかん」という言葉を何度も何度もかけていただきました。

今ではとても信じられない話ですが、猪飼先生が塾をはじめられた頃は、自塾の生徒のためにパンフレットを貰いに学校に顔を出しても「は?塾?・・・。そんな所にお渡しするわけにはねぇ・・・」と冷たくあしらわれたそうです。

そんな風潮の中、地道に私学の先生方と人脈を広げていき、理解ある先生方との出会い、協力を得て、いつしか塾主催の私学相談会まで開催できるようになったというのが、そのまま関西私塾の会の歴史であると、何度もお話されていました。

そのような先人達の苦労など全く知りもせず、電話一本でパンフレットを届けさせるような近年の塾人と私学の先生方との付き合い方をとても憂いておられました。

「学校あっての塾なのに・・・みんな、それを忘れとる・・・」 猪飼先生の口癖でした。

また、私の働き過ぎをとても気にかけて下さり、お会いする度に「あんたは、働き過ぎやって!!」と半分怒ったような口調で何度も注意を受けました。

以前、若くして急死された塾の先生がおられたそうで、「似ているから心配なんや」と。

なかなか言うことを聞かない私に、最後のほうはもう呆れておられましたが、それでも私がある年配の塾長先生と口論になった時、さっと間に入ってこられ、「あんたは、この人の苦労を知ってるのか!この人の大変さを分かっているのか!全然分かってへんやろ」と、もの凄い剣幕で私を庇ってくれました。

「働き過ぎ」以外の事でも叱られたことは何度もあります。とくに「礼節」に関しては厳しい方でした。その一方で、「この人なら大丈夫」と何度も後押しをしていただきました。入会後数年も経たないうちに、役員に加えていただいたのも、「あんたなら大丈夫」という猪飼先生の後押しがあったからこそ。

会計から始まり、気づけば事務局長を務めていますが、猪飼先生、期待通りの仕事を出来ていますでしょうか。

最後に、今から5年前、猪飼先生より、執行部の慰労会をさせてと、一席設けていただいた時の事を書いておきます。

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清流の上に座席が設けてあり、私にとってテレビでしか見たことのない世界。氷酒を初めていただきました。

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帰りに、蛍の幻想的な光を見せていただき、まるで夢のような時間でした。

こんな楽しい素敵な時間を設けていただいたにも関わらず、私だけが翌日に改めてのお礼の電話を入れてなかったのです。他の年配の先生方は、皆翌日にきちんとお礼の電話を入れたそうです。

今度こそ、という思いは果たせぬままとなってしまったことは本当に悔やまれますが、猪飼先生、本当にありがとうございました。 先生から教わった多くの事を伝えていきたいと思います。 心よりご冥福をお祈りいたします。