少し前の事になるが、ツイッターで、いわゆる速さの問題を、「は・じ・き」で教える事の是非を問う激論が繰り広げられている場面に遭遇した。

自身の正当性を強調されるがあまり、多少相手を貶めるような物言いが混ざっていたのは「教育者ツイートあるある」だったし、私自身も身につまされる思いでもあるのだが、実は、別の興味があってタイムラインをおいかけた。

議論されている方々とは全く面識もなく、塾名はもちろん、年齢や講師歴も存じ上げない。よって、こんな場でとやかくいう立場にないわけだが、似たようなことが私自身にも起こった事があったので、是非を語るつもりは毛頭ないのだが、私なりに感じたことを書いてみたいと思う。

その事件が起こったのは、まだ塾講師としては駆け出しの頃である。といってもアルバイトではなく、社員にはなっていた頃なので、講師6年目に突入したくらいの頃だろうか。

どういうシチュエーションだったかはすっかり忘れてはいるが、その時の風景は今でも鮮明に覚えている。

テスト前か何かだったのだろうとは思うが、1つの部屋にベテラン講師と私の2人で入って、2人体制で生徒の質問対応をしていた。

日頃私が担当していない生徒も多数いて、その担当していない生徒が私に質問をしてきた事が事件のきっかけであった。


生徒:「先生、この湿度の問題なんですけど、水蒸気量ってどうやったら求められますか?」

私:「あー、これね。例えば、お腹いっぱいの時を100%としようか。じゃあ、半分の時は、どういえばいい?」

生徒:「50%??」

私:「だよね。で、今は何パーセントって書いてある?60%?つまりさ、全体の60%しか水蒸気が・・・」

その時である。

別の生徒を教えていたはずのベテラン講師が、血相を変えて「香口さん!!(えー!生徒の前で「さん」???(怒))、この子には、この公式で教えてますから!!」と言い放ち、突然黒板に湿度の公式を書き始めたのである。

ベテラン講師が顔を真っ赤にしてまくしたてる。「求めたい物をXとおく。ここがXだろ。で、分母がこれ!この式を解けば誰でも出せるって教えただろ?なんで、このやり方でやらないんだ!」

私も生徒もあんぐりである。

私も若かったし、途中で遮られたという怒りもあったのと、(今別の生徒見てたやん。その子ほったらかして何で口出してくるねん)という正論も怒りに混ざり、完全に無視して指導を続行した。

ベテラン講師に対し、最低の行為だと今なら思えるけれど、その時は怒りが勝ったのである。

すると、今度は生徒に対し、「お前は、色んな方法で学んだら理解出来ないんだから、一つの方法でしろ!!いつも言ってるだろう!!!」とキレだしたので、生徒を巻き込んでしまった事を後悔した私は、空気をよんで「じゃあ、あの方法で説明しよか」と引き下がった。

「あのやり方じゃ分からんから聞いているのに・・・」という生徒をなだめながら。

この業界には、他人が自身の生徒に関わることを極端に嫌う先生がいるのはいる。でも、現実には子供たちは多くの大人から多くの事を学ぶのである。自分だけの教えだけで押し通せるわけではないし、多くの人、テレビ、参考書から様々な事を学ぶのが人である。

「たくさんの書物を読みなさい」というのは、様々な考え方に触れなさいという意味だと私は思っているのだが、対子供には違うのだろうか。そもそも、自分の教え方じゃない事が書いてある参考書を「有害図書」として、子供の目の前から抹殺でもする気だろうか。

「はじき推奨派」の先生にも、「はじき反対派」の先生にも、互いにそれなりの成功体験があって、そりゃいくつもの武勇伝をお持ちだからこそ、そうなったわけで、自分の成功体験は必要以上に認めるけれど、他人のそれは一切認めないというスタンスでは、そもそも議論にならない。

そもそも、どっちの武勇伝が優れているかなど、比べようもない事だとは思う。

「はじき」で100人の生徒に感謝された、いや、俺は「はじきを使わない指導」で200人の生徒の成績を上げた。

そのどちらも、話を盛っていない限り、真実なんだと思うしかないし、真実なんだったら、わざわざ声を大にして相手をけちょんけちょんにけなしてまで言う必要があるのだろうか。

「こんな指導をしてます。すごいでしょ?」とアピールするのは結構だが、「その後どうなったか」の検証がなされていないし、そもそも検証のしようがない事なのだ。検証なき「すごいでしょ?」戦法は、「水素水」商法と同じである。

この業界、学校批判、進路指導の批判、生徒指導の批判、塾運営の批判、そもそも、個別指導か集団指導のどちらが優れているかの議論など、検証のしようのないものはいくらでもある。

ただ、私はいつでもこう思っている。生徒や保護者は盲目ではない。まずいやり方をしている塾なら、市場の原理でとっくになくなっている。優劣をつけたいのなら、どっちが市場に認められているかでしか、判断する材料がない。

塾講師は、残念ながら言った者勝ちの部分がある。どんなヘボ講師だって、自称20勝投手、自称3割バッターを名乗れる世界なのだ。

プロ野球のように、きちんと数値で見えれば、二戦級が大きな顔をすることもないのだろうけれど、だからこそ、ツイッターで必死になるのかもしれない。

むろん、自身のやり方をディスられるということは、卒塾生を含めた生徒を含めてディスられた事になるので、言う方も失礼な話だし、言葉汚く反論を重ねると言う行為も当然の事だとは思う。私も、自身の生徒まで悪く言われれば、そりゃ怒りに震えるだろう。

でも、良い物は、良い。それでいいではないか、とは思う。レクサスの良さを語るのに、わざわざベンツを蔑む必要はないと思うんだけど、アンチは、時としてはやっかいな存在になってしまう。

そんな事をタイムラインを見つめながら思った次第。ちなみに、私は「はじき派」、「はじき派じゃない」のどちらだと思います?

実は、〇〇派なのだが、そんな事はどうでもいい。まあ、私は、教え子と呼べる生徒が、何かの節目の度に、「報告しとこうか」と思い出してくれる存在でありたいという事に重きを置いている。

こちらの塾に来て初年度に教えた中3生。3年間高校で使ったロッカーを塾に寄贈してくれた。

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「前の塾は、西京のロッカーだらけだった。今回は卒塾生から成章のロッカーもらったから持ってきた。いらんかったら引き取るで」と言っていた話を覚えてくれていたのだろうか。

そして、自身の進路について熱く語ってくれた。本当に彼女らしい選択だし、中3の時、この学校を選択しなければ、この進路もなかったということが良く分かった。私への報告は、その辺も多分に含まれていると思うし、私自身は満足である。

もちろん、これで彼女の人生が終わったわけではない。これをもって、手柄顔する資格などない。ただ、彼女の周囲にいた大人、小学校時代、中学校時代の先生も含め何人に伝えたかは知らないけれど、少なくとも報告無き人物よりは、私が彼女への影響があったのかもしれない事をかみしめるのみだ。

まあ、支離滅裂に、思うがままに色々書き散らしたが、結論は「蓼食う虫も好き好き」 うん?ちょっと違うか。