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本日は国公立大 前期日程試験の前日。15名在籍していた高3生も1人、また1人と合格を勝ち取って抜けていき、明日の国公立前期を受験する者は4名だけ。合格した仲間に「おめでとう」と声をかけたあと、ぽつりと「いいなぁ」とつぶやく場面に幾度となく遭遇した。

私の時代にも推薦入試という制度はあり、国公立に推薦で進学する者はいるにはいたけれど、ほんの一握りで、その一握りさえも、先生から推薦制度使うの?一般やったらもっと良いとこ行けると説得されて一般に鞍替えする時代であり、また、ほとんどの生徒にとっては私大はすべり止めという意識で、国公立こそが大学という雰囲気だったため、指定校推薦を使う者もほとんどおらず、前期試験(当時はA日程)まで受験勉強が続くというのは普通の事だった。

その事が何かをダメにしたなどという印象はない。それなのに最後まで頑張ることは要領の悪い奴のすることで、先抜けた者が勝ちであるかのような風潮になってしまっているが、そんな制度を積極的に押し進める理由が青田買い以外に見つからない。

特に高校入試(京都の前期入試)などで現場で感じるのは、生徒のメンタル面に思いのほか打撃を与えており、その事がトラウマになって大学入試において(高校受験では早く終えることができなくて損をしたから、大学入試では推薦とか使ってさっさと終わらせよう)という思考につながっているというのは短絡的な考えであろうか。

もちろん推薦などの制度を利用することが悪いと思っているわけではなく、目標に向かって最後まで頑張らずにショートカットする事、ショートカットだけならまだしも目標を下げてまでも最後まで頑張らない事を良しとする考え方が若いうちから蔓延してしまう事が問題だと思っている。

まあ、老い先短い私ならば、効率重視もあり得るのだけれど。

さて、うちの今年度の高校部の現状を言えば15名在籍していた高3生のうち、3名が神戸大、京都工繊大、京都府立大の国公立にAOや公募で合格し、私立大や専門学校に指定校、公募で7名が合格をした。

もちろん、この合格者たちはしっかりと努力を積み重ねたのは言うまでもないけれど、15名いたのに、1月のセンター、2月の私大の一般入試までとなったのは半分にも満たない6名というのが時代を感じる。

その6名のうち、1名はセンターのみ、1名は私大に一般合格を果たし、最終的に国公立前期試験を受験するのは4名であり、その前日である今日、その4名とも塾に顔を出して最後の調整をし、そのうちの1名は受験地が遠方のため前乗りするにも関わらず、京都駅に向かう道中にわざわざ寄ってくれたというのが、今日のメインの本命のお話である(笑)

「新幹線の中でお食べ」と、自分のお昼に買っていたカツサンドとお茶に加えて、今年は本当にたくさんの保護者の方から様々な合格応援お菓子を頂いたので、その中から大好物の「ぱりんこ」などをセレクトして袋詰めにして渡した。

「最後に一声かけて欲しいと思ったから、顔を出してくれた」などと思うのは、私のうぬぼれかもしれないけれど、他の生徒も名残惜しそうに最後までいてくれたように感じた事が嬉しかった。うちの高校部は99%が中学からの生徒で占められている。

A君など「お世話になりました」とわざわざ頭を下げてくれたけれど、いや、もう二度と会えないわけじゃないんだからと照れくさくなった。

予備校でもなんでもない中学生メインの塾で、高校生物を専門とする先生はいないし、理系でありながら、高校化学の質問には参考書とにらめっこしなければ答えられないし、そしてそこだけは理系らしく、古文や漢文はさっぱりと、こんな情けない塾長の下で、高校生たちが最後まで通塾してくれたこと本当に感謝します。

機械に頼るのはどうかという古くさい考えに縛られていた私ですが、もっともっと環境を良くしないといけないなと思い、次年度より高校生用にコンテンツの豊富な映像関係のものを導入したいと考えています。

でも、最後は人であるという思いは変わりません。映像は入れるけれど、その科目を自身がきちんと教えるようにする必要があります。そのためには、今まで以上に自身が勉強をしたいと思っています。

今年の目標として、高校時代までは一番の得意科目だったはずの英語からと思いこっそりと取り組んでいたのですが、最後までやりきれず・・・本気で高校の時に全く勉強しなかった事を悔やんでいます。

さぼったツケというものは、必ずどこかで払わないといけないのです。肝に銘じて欲しい。

そして、明日受験の高3生たちへ。とにかく君達に幸あれ!!それだけを願っています。